「石狩川」の暁鐘を高らかに      
         
 
國學院大學北海道短期大学部学長(前石狩川治水促進期成会会長) 田 村 弘
     
 

 

 「石狩川から来ました」。石狩川治水促進期成会の中央要望に出かけて開口一番語る言葉だ。一瞬、ビックリした表情で話を聞いてくれた。『石狩川』という言葉の持つ意味は大きい。それは、先輩の皆様達が60年にわたって築き上げてきた知恵と汗と涙の結晶である。
 私がまだ駆け出しの頃、 石狩川と千歳川の期成会では、協力して府県の整った河川の視察が行われていた。利根川、木曾三川、淀川、北上川遊水地等々、日本の名だたる河川の大事業の進捗に学ぼうという意図で、流域の多くの市町村長とともに開発庁、 開発局、 石狩川開発建設部、開発協会からも参加して、国・地方自治体・研究機関が一体となって石狩川治水事業に邁進していた時期だった。
 開発局のご協力をいただいて、期成会構成の市町村長さんに防災ヘリに搭乗して空から石狩川の上流から下流までの事業説明を聞いていただいた。川と如何に闘って現在があることへの感慨を持っていただけたのではないかと思う。
 地方分権改革の一環として、「一つの県内で完結する河川は、都道府県管理とすべき」との提案があった。「道民一人あたりの国土面積は東京の84倍。従って、道民が管理する川も道路も農地も森林も海岸線も他県とは比較にならない位に大きい。公平という名の不公平だ」と、期成会活動はじめ様々なところで訴えてきたことも思い出の一つである。
 「コンクリートから人へ」のスローガンのもとに、夕張シューパロダム・幾春別川総合開発事業の見直しも俎上に乗ったが、関係者の訴えが一定の成果を得たものと思う。北村遊水地は、中流域の最重要課題として期成会としても力を入れてきた。事業採択されて着手されたことは誠に喜ばしく、ささやかながら役割を果たせたものと胸をなでおろしている。これらの事業の進捗が、岩見沢から上流の河道掘削をはじめとする河川整備事業を進めて行くことにつながって行くものと期待している。
 公共事業の削減が影を落とし、住民もまた洪水被害への認識が乏しくなっているように思う。 北海道の温暖化が進み、集中豪雨が多発する傾向の中で、治水事業も新たな展開が求められるであろう。私見だが、千歳川放水路は、将来の治水安全度を高めるための究極の対策として改めて研究する時期が来るのではないかと愚考している。
 石狩川開発に取り組まれてきた国の方々の筆舌に尽くし難い努力とともに、石狩川治水促進期成会の存在と60年にわたって続けられてきた多くの先達の努力の結晶が、現在の石狩川流域を発展に導いてきた。中・下流域の河川整備の進展は目覚ましいものがあった。残された事業の早期実現を望むとともに、 改正河川法が目指す治水・利水・環境の先進地域として、 期成会の伝統である流域自治体・国・北海道・研究機関が一丸となって「石狩川」の暁鐘を高らかに打ち鳴らしながら運動されて行かんことを期待している。