石狩川では、明治から昭和中期にかけて捷水路、支川の付替えおよび堤防を中心とする治水事業が進められました。戦後からは、ダム等の洪水調節施設の整備が促進され、平成22年で治水100年を迎えました。

 
     
   
 

◎堤防の整備

 

◎河道浚渫・掘削

 
     
 

洪水の安全な流下を図る。泥炭性の軟弱地盤では、緩傾斜の堤
防を整備し、堤防の安定化を図る。

 

河道断面を拡幅し、河道の水位を下げるとともに内水への効果を発揮する。

 
         
 

◎放水路(石狩放水路)

 

◎ダム事業(滝里ダム)

 
     
 

洪水を海に直接放流し、洪水時の水位の低減を図る。

 

下流部の洪水流量の低減を図る。

 
         
 

◎遊水地事業(砂川遊水地)

 

◎排水機場整備

 
     
 

下流部の洪水流量の低減を図る。

 

内水を排除する。

 
     
 

 平成19年には、石狩川(支川を含む)の河川整備計画が策定され、現在、石狩川の治水事業は、昭和56年洪水を安全に流すことを目標に、様々な治水対策が総合的に進められています。その中から、近代における石狩川を代表する主な治水事業を紹介します。

 
   
 

 石狩川支川の幾春別川下流域と旧美唄川流域(岩見沢市北村地区)は、軟弱な泥炭性地盤が広がる低平地帯で、大雨が降ると石狩川の背水の影響を長時間受け、幾春別川と旧美唄川の洪水は流れにくくなり、周囲からの雨水も集め、しばしば全域が浸水していました。
 この地域の抜本的な治水対策として、幾春別川と旧美唄川を合わせて新水路を掘削し、石狩川との合流点を現在より下流に約5.4km移すことで、石狩川の高い水位の影響を少なくして洪水時の水位を下げ浸水被害を軽減する、 幾春別川新水路事業を実施しました。 事業では、新水路の掘削土で盛土を行った場所を移転地にするなど、国・北海道・岩見沢市が一体となって、低平地帯の「水害に強いまちづくり」を推進しています。

 
   
   
 

 石狩川支川の雨竜川下流には大きな湾曲部があり、洪水時には水位のせき上げや河岸決壊が発生する状況にありました。その湾曲部に合流する雨竜川支川の大鳳川は、雨竜川の高い水位の影響を受けて逆流し、広範囲で長時間にわたる内水氾濫を多発させていました。
 昭和63年8月洪水を契機に、この雨竜川の大きな湾曲部をショートカットして流れを良くする「雨竜川捷水路」と、大鳳川の雨竜川合流点を下流に移す「大鳳川新水路」が計画され、2つの事業は合わせて実施されました。
 事業の完成で、雨竜川の洪水時の水位は約60pの低下が、大鳳川の旧合流点付近の計画高水位は約2.2mの低下が見込まれ、内水氾濫が大きく改善されます。

 
     
 

雨竜川捷水路と大鳳川新水路(札幌開発建設部蔵)

 

昭和63年8月洪水での、大鳳川8号線下流の出水状況(札幌開発建設部蔵)

 
   
 

 忠別ダムは、石狩川の支川・忠別川に建設された、忠別川および石狩川の洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水の補給、水道用水の供給、発電を目的とした多目的ダムです。
 忠別川は急流で、昭和45年と昭和50年の洪水では大きな被害を受けました。また流域は、農地の拡大や市街地の人口増加等、水需要も高まっていました。これらを受けて建設された忠別ダムは、下流側から見て右側が重力式コンクリートダム、左側が中央コア型フィルダムの複合ダムで、この型式では日本最大級の大きさを誇り、平成23年までに24回の洪水調節を行い、下流の洪水被害を防いでいます。

 
 
   

ダムの上を歩くことができ、大雪山系に抱かれた眺望も人気(旭川開発建設部蔵)

 
   
 

 石狩川上流域を流れる支川の牛朱別川は、昭和7年、石狩川への合流点の流路を上流側に切り替える新水路が整備され、これが旭川市発展の基礎になりました。しかし、昭和45年洪水や昭和56年洪水が発生するなど、牛朱別川の洪水の危険はつづいていました。
 牛朱別川下流の旭川市街区間は、上流に比べて川幅が極端に狭く、このため牛朱別川では流すことができない洪水を旭川市街に流入する前に、新たな水路で石狩川へ分流させる、牛朱別川分水路(永山新川)が建設されました。

 
 

(資料:北海道開発局)
 

昭和45年8月洪水。牛朱別川右岸の旭川市永山地区の浸水状況(北海道開発協会蔵)

 

永山新川の完成で昭和45年8月洪水と同程度の浸水被害を防止することが可能(旭川開発建設部蔵)