平成27年1月、夕張市「コンパクトシティと夕張再生エネルギー活用による元気創造への挑戦」が、国の地域再生計画に認定された。夕張再生エネルギーとは炭層メタン(CBM)のことだ。主成分は天然ガスと同じメタンガスで、化石燃料ではもっともクリーンな未来エネルギーである。計画では清水沢地区でガス開発を行い、隣接する工業団地や農家へ安価に供給することで経済の活性化や雇用の安定、さらにはコンパクトシティの推進を図る。まさに石炭がまちを作り、これからメタンガスがまちを再生させるのだ。  
 
 
 
 
 
   北海道の地下資源に着目していたケプロンは、鉱山技師ライマンを招き、明治5年から地質調査を実施した。ライマンは、学生たちを助手に精力的に踏査し、日本最大の石狩炭田(空知炭田・夕張炭田)の存在を突きとめる。開拓長官の黒田清隆も地下資源開発のため、函館戦争では敵であった榎本武揚等を開拓使に採用して、榎本が持つ西洋の最新知識と技術を活用した。  
 
   こうして明治12年、国家プロジェクトの幌内炭鉱(三笠市)が開坑し、石炭輸送のために同15年には国内3番目となる幌内鉄道が開通した。明治22年、幌内炭鉱は北海道炭礦鉄道(北炭)に払い下げられ、北炭は幾春別炭鉱と、新たに発見された空知・夕張の炭鉱開発を進め、自家発電所の建設にも乗り出し、さらには農業のために移民を送るなど内陸開拓にも貢献した。  
 
 
 
 
   日露戦争が終結すると、財閥が炭鉱開発に乗り出した。美唄(三井、三菱)、歌志内(住友)、茂尻(大倉)、赤平(住友)、芦別(三井)、雨竜(浅野)等が開坑し、出炭量は飛躍的に増加、昭和6年の満州事変以後は未曾有の発展期に入り、日本の産業発展の原動力となった。
 炭鉱開発は、未開の山中にたちまち都市を出現させた。炭鉱住宅が数多く建てられ、病院や学校等の生活施設も充実、娯楽産業も発展した。「北海盆歌」は、三笠市幾春別の炭鉱でお盆に踊られていた「べっちょ節」(炭鉱節)がもとになっている。また、独自の食文化も生まれた。馬の腸を煮込んだ歌志内「なんこ」(鍋)。豚のホルモンと豆腐・野菜を味噌スープで煮込んだ赤平「がんがん鍋」。さまざまな鶏の内臓肉と玉ねぎを串にした「美唄焼き鳥」。豚肉と玉ねぎが入ったスパイシーな夕張「カレーそば」。十数種の具が入った塩味中華とろみスープの芦別「ガタタン」。これら郷土料理は、今も楽しむことができる。
 
 

 
 
 
   昭和37年の原油の輸入自由化を機に石油がエネルギーの主役に躍り出て、閉山が相次ぎ、石狩炭田の坑内掘り炭鉱は、平成7年の歌志内・空知炭鉱を最後にその歴史を閉じた。しかし、冒頭でふれたように、クリーンエネルギーとして期待されるCBM(炭層メタン)の開発地は石狩炭田が最有力である。国内初のCBM活用を目指す夕張市は、市有地において石炭層への試験ボーリングを実施し、開発に必要となるデータ収集を行う予定だ。メタンガスは、地上から石炭層を目がけて坑井を掘削し、鋼鉄パイプを通して噴出したものを回収する。CBM開発は、世界各国から次々と計画が発表され、国内でも産学官による研究が進められている。次なる時代の幕が開く。  
  *参考資料:新北海道史、空知総合振興局そらち炭鉱の記憶をめぐる、夕張市コンパクトシティと夕張再生エネルギー活用による元気創造への挑戦、NPO法人地下資源イノベーションネットワーク「石炭地下ガス化(UCG)」  
     
   
     
     
     
     
     
     
     
 
 
  ■北海道遺産 空知の炭鉱関連施設と生活文化 
  http://www.hokkaidoisan.org/heritage/010.html
 
     
  ■空知総合振興局 そらち炭鉱の記憶をめぐる  
 http://www.sorachi.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/yama/index.htm
 
     
  ■夕張市 コンパクトシティと夕張再生エネルギー活用による元気創造への挑戦  
 http://www.city.yubari.lg.jp/contents/municipal/saisei/index.html