坂本直寛が北側に居を構えた浦臼沼は、石狩川の自然短絡でできた河跡湖
 
     
 

明治31年洪水で活躍

この年、浦臼に移住していた直寛は、洪水被災者の救済に走る。
上京して内務大臣の板垣退助に陳情し、救済金を受けた。また教会の集会に出ては、被災者の惨状を訴えた。
直寛はじめ石狩川沿岸の有志達は、石狩川の根本的な治水を推進するため「石狩川治水期成会」を設立し運動した。
これが大きく響き、北海道庁内に「北海道治水調査会」が設立、石狩川の本格的な調査が行われることになり、ついに石狩川の治水は動き出した。

 
 

 
 

志を引き継いだ証

その後直寛は旭川に拠点を移し、牧師として師団や十勝監獄等への伝道活動に専念する。明治42年からは札幌に移り、明治44年、その生涯を閉じ今は円山墓地に眠る。
この間、兄で海援隊の中心人物だった高松太郎(坂本直)の妻・留と長男・直衛が太郎の死後、直寛を頼って浦臼に移り住んでいる。留は石狩川の渡船場近くで駄菓子屋を営みながら、浦臼発展に尽力した。
札的にある墓地には留と直衛、武市安哉の墓があり、坂本龍馬そして故郷・高知とのつながりを感じずにはいられない。

 
 
 

坂本直衛と留が眠る墓

 


ひと際大きな武市安哉の墓 

 

直寛の子孫、土居晴夫氏の著書「坂本直寛の生涯」

 
 

*参考資料/浦臼町史、新千歳市史、浦臼町郷土史料館(北の龍馬たち)

 
     
 

北の龍馬たちをめぐろう

はるか南国・高知からの一大入植地だった浦臼町は、龍馬亡き後の坂本家の足取りを知る地の一つでもある。
浦臼町郷土史料館には坂本家ゆかりの品や直寛の住居模型が展示され、坂本家系図なども揃っている。その後も坂本家の人々が道内各地で活躍した事実には驚くばかりだ。
この郷土史料館や聖園教会など、ゆかりの場所は国道275号沿いに点在し案内看板もあるため、志を継いだ「北の龍馬」たちを学ぶには最適だ。

 
         
     
  浦臼町の歩みと坂本家の遺品などを展示する浦臼町郷土史料館
   
 

●浦臼町郷土史料館 
 浦臼町字ウラウシナイ183番地21  tel 0125-68-2237 午前9時30分〜午後4時 
 休館/毎週月・火曜日(同日が祝日の場合は翌日)4月下旬〜11月
●坂本家の墓(札的墓地)
 浦臼町札的 
●聖園教会 
 浦臼町字浦臼内183番地38 tel 0125-68-2902

さらに詳しい情報は浦臼町公式ホームページへ(観光ガイド)
http://www.town.urausu.hokkaido.jp/g_index.html

 
   


             
    石狩川の歴史   ページ2/2   
      Copyright(C) (財)石狩川振興財団.
All Rights Reserved.