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  河川の途中から新たな河道を開削して海または湖、あるいは他の河川などに放流する水路。
*札幌開発建設部ホーム
ページ「河川用語辞典」より
 
     
     
   
     
   
 

 茨戸川は、昭和6年の生振捷水路の完成により切り離された元の石狩川で、伏籠川、創成川、発寒川が流れ込み、最下流部は延長1.5km、幅27mの志美運河で石狩川本川とつながっている。志美運河は洪水時、茨戸川の内水を排除する役割を担っていた。
 昭和36年と昭和37年の2年連続で洪水が発生し、茨戸川と3支川が広範囲に氾濫し、流域の冠水は数日間にもおよんだ。茨戸川流域を含む札幌市北部は、昭和30年代からの人口増加が全国でも屈指の伸びを示し、宅地化・都市化が急速に進展した地域で、都市型水害の危険要因が蓄積され、抜本的な洪水対策が喫緊の課題となっていた。

 
     
 

 
 

札幌市発寒川流域の氾濫状況。昭和56年8月3~6日(写真:北海道開発協会)

 
         
 


 茨戸川洪水の特徴は、石狩川の水位が高くなると志美運河から石狩川に水が流れていかなくなり、水位が上昇して周囲に溢れる内水氾濫だ。この石狩川の背水を遮断するとともに、茨戸川の水を放水路で直接日本海に流す石狩放水路計画が昭和46年に立てられた。石狩放水路が完成すると、茨戸川の水位は約2.7m低下する都市型水害の切り札だ。
 人口集中に伴う都市型水害は全国的なもので、国は「総合治水対策」を進めていた。札幌市北部地域は昭和50年の記録的な洪水でまたも大きな被害を受けたことから、北海道開発局、北海道、札幌市の河川および下水道部門が一体となって水害対策を行うことになった。昭和55年、「伏籠川流域総合治水対策協議会」が設立され、石狩放水路は総合治水対策として建設されることになった。






   
     

伏籠川、創成川、発寒川が流れ込む茨戸川(写真:北海道開発局)

 
         
 
 
 
 

 石狩川につながっている志美運河に運河水門を、放水路下流端には放水路水門を建設し、大雨や台風で洪水の危険がある場合にのみ運河水門を閉じて石狩川の逆流を断ち切り、今度は放水路水門を開けて茨戸川の洪水を直接日本海に流す。この両水門の操作で茨戸川の洪水処理を行う。石狩放水路の建設で、札幌市北部地域の安全は格段に高まるばかりか、運河水門を閉め切ることで茨戸川水系は石狩川の背水に影響されない単独河川として改修計画が立てられるようになり、各支川の改修計画も容易になるので、地域開発に与える効果もきわめて高くなるのだ。
 地域を守る切り札・石狩放水路は昭和57年に完成するのだが、その前に高い防災効果を天下に知らしめることになる。

 
     
 


 
   
 

茨戸川流域の流れ(放水路完成前)

茨戸川流域の流れ(放水路完成後)

 
 


・放水路(延長2,458m、水路幅50m)
・放水路水門(ゲート2門)
・運河水門(ゲート2門) 
*志美運河


     
     

石狩放水路と放水路水門。洪水時は開けられる。

 

志美運河と運河水門。洪水時は閉められる(写真:石狩川振興財団)

 
 

 

     
※続石狩川治水史より