aa bb dd ee ff gg
         
     
   
   
       
       
         
         
     
 

 平成24年11月22日(木)、石狩川流域市町村43自治体57名が参加して、「市町村河川情報委員情報交換会議」が札幌市で開催されました。
 石狩川流域では昨年、土砂災害や浸水被害などがつづきましたが、その被災地も含めた4つの市町が発表し、災害時の緊迫した状況も伝わる、教訓になるものでした。

 
     
   
     
 

 東川町は農業を基幹産業とし、旭岳・天人峡の観光業や旭川家具を30%生産するなど木工業でも知られる。町の飲料水はすべて地下水でまかなわれるなど、大雪山の豊かな恵みを受けた暮らしも魅力だ。町では、これら町の魅力を最大限に生かした取り組みを進めている。
 大雪山を望む抜群のロケーションから世界にも類のない「写真の町」を宣言し、全国の写真愛好家と積極的に交流を図り、その名は今や全国区の知名度に。平成14年度「美しい東川の風景を守り育てる条例」を制定、平成17年には道内初の景観行政団体の指定を受け、町民とともに東川らしい景観づくりに取り組んでいる。その結果、平成6年6,973人だった人口は平成24年10月末には7,892人に増え、まちづくりの模範例と称されている。発表では、斬新なアイデアには「東川町特有の遊び心がある」と、町民性にもふれた。

 
     
     
 

全国高等学校写真選手権大会(通称「写真甲子園」)といった写真関連のイベントを毎年開催。

 

町立中学校の机とイスは町の特産品で、赤ちゃんにもイスをプレゼント。子育て支援の一環。

 
 

 平成24年4月24日午前9時頃、歌志内市の道道赤平・奈井江線(文珠峠)で土砂崩れが発生。ペンケ歌志内川が閉塞して越流し、道路と農地が冠水、住民約100名が避難する事態となった。記録的だった降雪が春になっても残っていたが数日続いた高温で一気に融けて、地盤がゆるんだことによるもの。
 午前10時には現地対策本部が設置されたが、発生当初は状況がわかるまでに時間がかかった。また、避難住民の把握や、殺到するマスコミ対応に苦労したことも率直に語られた。17時頃にはペンケ歌志内川の河道幅約25%が確保され、避難勧告も28日に解除された。災害の大きさからみると被害は最小限に抑えられた。各課題の対応は今後の防災に活かされ、流域で共有すべき事例と言える。

 
     
     
 

河川閉塞に伴いペンケ歌志内川が越流。

 

道道赤平・奈井江線の新ルート

 
         
 

 平成24年9月9日から12日にかけての豪雨で、南利根別川などが氾濫。一部道路と農地が冠水し、床下浸水は約85棟で、昭和56年洪水から31年ぶりの市街地で被害が発生した。利根別川の水位が上昇したため、南利根別川の水が流れ込めずに行き場を失ったことが原因。昭和56年洪水では石狩川に流れ込めない幌向川流域で被害が生じたが、当時を知る職員は少なくなっていた。さらに、市街地への人口集中も都市型災害を起こしやすくしていた。
 これを教訓に、下水道計画の見直し(流出係数)、雨水管整備と道路整備(雨水幹線の優先整備)、樋門・樋管の点検(内水排除時のトラブル防止)、河川整備推進と維持管理を進め、情報の一元管理や定期的な防災訓練の必要性というソフト対策も課題にあげられた。改めて、石狩川流域に大被害をもたらした「昭和56年洪水」の記憶を伝える必要性を感じた発表となった。

 
     
     
 

岩見沢市街の浸水状況。

 

南町では取り残された住民がボートで救助された。

 
         
 
 

 石狩川流域の市町村が、流域の豊かな水環境や資源を活かした活性化に関する施策やさまざまな課題について、流域の視点を持ち協働で検討し、関係機関への提案や取り組み等を行い、流域の総合的な発展に資することを目的として、「石狩川流域圏会議」が11月28日に34市町村の参加を得て設立された。
 平成24年度は、豪雨災害対策事業とスタートアップミーティングに取り組んだ。豪雨災害対策事業では、豪雨災害対策ワーキンググループによる3回の検討が行われ、11月の第4回ワーキングで、豪雨水害対策職員研修カリキュラムが検討された。スタートアップミーティングでは、今後の「石狩川流域圏会議」について意見交換が行われた。なお会則により、平成25年~26年は事務局および議長が滝川市から恵庭市に引き継がれた。

 
     
     
 

平成23年11月28日、石狩川流域圏会議が設立された。

 

豪雨災害対策の市町村職員ワークショップ。