開拓以来、夕張川流域住民を悩ませたのは、夕張川の水害です。北国特有の泥炭地のため、水はけが悪く、大雨が降ると川の水は堤防を越えて町を覆い、水が引くまでには10日ほどかかりました。このため農作物は全滅し、土地を離れる者が後を絶ちませんでした。水害の根絶こそ、流域住民の切実な願いでした。

 

 明治31年の大洪水を契機に、石狩川の本格的な治水事業が動き出しました。夕張川から石狩川に至る約11kmの新水路を建設し、夕張川を千歳川から切り離して、石狩川に直接合流するようにしたのです。この「夕張川新水路」は、昭和11年に完成しました。
 水害の憂いがなくなった流域に、昭和37年、大夕張ダムが完成しました。戦後の石狩川流域総合開発計画の一環として、長年の課題である農業用水の確保と発電を目的としていました。そして、さらなる発展を続ける流域の用水確保と、昭和56年洪水への対策等として立案されたのが、夕張シューパロダムです。